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いわゆる暦の上でだけの話じゃあなく、
三月弥生を迎え、序々にではあれ順調に春めいていたのに。
前の週のホワイトデーなぞ、関東でも二〇度以上を記録し、
バレンタインデーのお返しにチョコ菓子を用意した人々は難儀したほどだったのに。
冬の寒さもこの日までとされているはずな彼岸の中日、いきなり極寒が舞い戻り、
箱根や何と帝都周縁でも雪まで降ったというから、一体 誰の業が深かったのだろか。
そのような極寒模様の戸外に比して、
「…あの。」
「何だい?」
シックな内装でまとめられたそれは落ち着いた店内は、暖房もようよう効いており。
芳しいコーヒーの香りと室内楽のBGMが優雅に絡まって満ちていて、
ステンドグラスのはまった窓辺の席は、何とも過ごしやすい穏やかさ。
本来は同じ社屋に入っている事務所の社員らが休憩や食事に訪のうのが主な客筋なのだろうが、
祭日である今日は、少なくとも二階の法律事務所は休業だとか。
三階にどんなテナントが入っているのか詳細までは知らないが、
その上の四階に本拠となる事務所を置く“武装探偵社”は確か休みではなかったはずで。
それが証拠に太宰と敦という活劇担当の二人して、
とある名士の御曹司を破落戸らから救出していた事実は芥川も掌握している。なので、
「いいのですか?」
「何がだい?」
実戦社員総出で 絶賛 荒事就業中の職場の足元の喫茶店にて、
コーヒーカップ片手ににこやかに羽を伸ばしている太宰なのは、
まま今更どうこうと問うのも無駄な気がした芥川としては。
「人虎を中原さんと行かせたことです。」
そこのところが どうにも黙ってはいられぬほど案じられていたらしく。
こちらも敦くんが懸念したのと同じ理由から、
見るからにマフィアだと示すよな、例の黒外套という仕事着をお着替えにと
自宅であるマンションへ やや強引に寄り道した折も状況に流されるまま口を開けず。
ずっと黙っていての今、やっとのことで口へ昇らせたのがこの一言。
だというに、
「いけなかったかなぁ。」
長い睫毛の影が夢見るようにけぶるほど、魅惑の輝きたたえた双眸をたわめ、
表情豊かな口許ほころばせて ふふと柔らかく頬笑む太宰には、
もしかして…芥川のちょっと端的過ぎる日本語が通じていないのか、
それとも彼ほどの人物には、このくらいは茶話とするにも足らない瑣末なことなのだろうか。
だがだが、中也はともかく敦のほうは探偵社では新人の枠内であろうから、
任務にあたっている最中に 勝手な行動を取るというのは憚られるのではないだろか。
選りにもよって裏社会の顔、ポートマフィアの幹部と行動を共にしているだなんて、
社長の許諾もなく執行していいことじゃあないのでは?
…ということを、本来は太宰の側が案じてやらねばならない順番のはずなのだが、と、
虎くんの上司様はそこを可笑しいと感じてか、くすくすとやんわりと笑い、
「とんだ災難に遭った中也はこの際どうでもいいさ。」
相変わらずの相性の悪さも全開に、
「そも、いくら本拠内での突発事態だったとはいえ、
機関銃による切れ目のない銃撃の弾幕さえ黙らせる、
ご自慢の異能を存分に発揮すれば何とかなったことだろに。」
と、代理の芥川が ぐうの音も出なくなるよな真っ当な苦言を吐いてから。
頼もしくも大ぶりで なのに器用そうな、
それは行儀の良さげな手でシックなデザインのコーヒーカップを持ち上げたまま、
「キミが敦くんを案じてくれているのはとても嬉しいけれど、」
危険だからではなく、探偵社員としての処遇を…という案じなの、きちんと把握した上でだろう、
微笑まし気な やんわりとした表情や雰囲気のまま、
そうと紡いだうら若き師は、
「敦くんを、猪突猛進な考え無しとまで思っちゃあいないよね。」
そんな一言をことりと、
碁石を据えるような丁寧さ、確たる一言として黒の青年へと告げる。
特段 棘々しい口調になったわけじゃあない、
ただ何とも冷静な揺ぎない一言として放たれたそれであり。
「…っ。」
時に現場で大喧嘩になるほどに、
異能の相性はよくても人性の相性は微妙に異なる 凸凹なままの自身と虎の子くん。
噛みつき合うのは 本音を曝け出し合っていればこそなので、
戦闘のノウハウや駆け引きというものへは初心者な単細胞の相棒については
気性の点でも把握しているつもりじゃああったが。
そんな彼と自分との双方の、すぐ傍らに添うてきた師匠でもある太宰には、
ついつい “愚者め”と罵ってしまいたくなるほどに
考え無しな、若しくはその場しのぎ的な行動が多いあの少年の
意外な何かが 把握できているというのだろうか。
自分だとて、この比類なく聡明な師匠の構えるような
どんな椿事にも応用が利くほどの深慮のひそむ、
底の知れない策に沿うて動くことなぞ滅多にない身ではあるが、
少なくとも経験則から得た計算なり予測なりは構えるし、
対峙する相手を油断させよう擬装も心得てはいる。
そんな自分に比すればまだまだ経験値も低く、我武者羅でしゃにむなところが目立つあの少年に、
真っ直ぐ突っ込む以外の戦闘への選択肢がそうそうあるとも思えない。
「確かに、自分のタフなところを覇気で固めた、
一歩も退かない戦い方しかしない子ではあるけれど、」
不意打ちなどを構えるにあたっても、我が身を捨て駒にするよな乱暴大胆な策しか繰り出せぬ、
そんな格好の、不器用で出たとこ勝負なばかりの彼だと思っていたが、
「自分が何を持っているのか、見失う子じゃあない。
ましてや、初めて得た何にも代えがたい大切なものを損なわれたのだよ?」
ふふと笑ってカップをソーサーに戻すと、
その白磁の縁を指先でつつつとなぞり、
そこに楽しい事態への暗号でも浮かんでいたかのように
目許に再びの弧を描く彼であり。
「これを怒らずして何へ怒かるというんだい。」
「…怒る?」
たいそう慌てていたのは察したし、
大変だぁと慌てたそのまま、
取るものもとりあえずお手伝いしましょうと同行してったようにしか見えなんだのだが。
太宰はそんな少年の身のうちに灯っていた何か、
怒りという穏やかならない感情をも拾っていたということか。
「……おっと。」
自分は欠片ほども拾えなかったもの、
もしかして敦自身も意識してはなかったそれかも知れぬ感情を、
さも当然のように把握していた師匠はといえば。
不意に自己主張を始めた携帯端末に気が付いて、外套の衣嚢へ手を入れる。
液晶画面を確かめて、おやおやと笑ってから入電に出た彼は、
すべらかな頬に添わせた端末からの知らせへ、
始終にこやかに応対し。
「憎っくき相手は見つかったのかい?
え〜、やだよ、居場所は教えるから犯人を連れて来てって言ってたじゃないか。
え? うん。うずまきだけど。……はぁ〜、判った判った、国木田くんに連絡はなし。」
会話の流れからだろう、見るからにやれやれという顔になり、
だが、通話を切るとそれはにこにこ上機嫌。
テーブルの隅に置かれてあったレシートを挟んだ小ぶりの勘定板を手に、
芥川へ行こうかという目配せを寄越す。
「人虎ですか?」
「ああ。駆けつけるころには一件落着していようさ。」
自慢の部下のお手柄を微笑ましいと喜ぶ笑顔は
見ているこちらまでホッとするよな安寧に満ちており。
中也のあの状況がやっと解かれるのかと、芥川もホッとして立ち上がったのだが、
「ああでも、中也の尻尾を揶揄えなかったのは残念だねぇ。
社畜そのものじゃないかって。」
「……尻尾?」
こらこら、太宰さん。(苦笑)
to be continued.(18.03.21.〜)
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*お留守番ペアのほうをちょっと覗いてみました。
さすがは太宰さんで、
中也さんさえ気づいてなかった敦くんの内情をあっさり拾っていたようです。
しかも余計な一言まで…。(笑)

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